生理用品と古書の雑記

むかしの女性はどうしてた?古雑誌でたどる月経帯からアンネナプキンまで
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ビクトリヤ月経帯と大和真太郎氏に関するメモ
明治時代の終わりから月経帯の製造販売に携わった大和真太郎氏と、
彼のつくったビクトリヤ月経帯に関心を持ち、少しずつですが調べています。
今後の自分への宿題の意味も込めてここにメモしておきます。


ビクトリヤ月経帯の大和ゴム製作所創業者、大和真太郎氏は、
横浜の商館勤務の経験を活かし1910(明治43)年に独立し
京橋で開業した輸入雑貨商で失敗するも、
取り扱い品のひとつだったアメリカ製月経帯に商機を見出だした。

自社製の月経帯を発売するにあたり、
当時国内のゴム製造業は発展途上にあったため
月経帯に用いる薄ゴムをアメリカから輸入、加工し販売した。

輸入材料による月経帯の製造販売を続けながら、
大和氏は材料の薄ゴムの製造に自ら挑み苦心の末に成功させ、
これにより輸入に依らず自社工場での一貫製造が実現した。
これが1914(大正3)年に商標登録されたビクトリヤ月経帯だ。

このビクトリヤ月経帯は、価格を輸入品の1円50銭から
半額以下の70銭に押さえ、新聞雑誌に広告を出し、
女学校へ売り込みユーザーを獲得していった。

発売当初、大和氏はどのようにして女学校に販路を
拓いたかというと、寄宿舎の寮母宛てにサンプルを送り
実際に使用してもらうという方法だ。

当時月経帯といえばビクトリヤというほどの売れ行きとなり、
特に女学校からは100個単位で注文を受けたという。

大和真太郎氏と同郷で大和ゴム製作所の宣伝担当、
後に同社取締役になった岡崎明郎氏によると、
ビクトリヤ月経帯は発売後も重要部分を二重にするなどの
改良を重ね、広告には当時人気だった高畠華宵風の図案で
上品に明るく美的な感じを演出することに力を注いだという。

大正時代はほぼ独占状態だったものの、
昭和初め頃になると徐々に後続も増え、なかでも
ゴム業界の会合で熱心に製造法を訊ねてきた
ゴムタイヤ製造メーカーがあった。
それがビクトリヤ最大のライバルとなったフレンドバンドの
第一ゴム創業者、竹内仲治氏だった。

※参考

『生理用品の社会史 タブーから一大ビジネスへ』 田中ひかる(ミネルヴァ書房 2013)
ゴム時報29(7)
ゴム時報30(1)
ゴム時報32(5)
ゴム時報35(10)
ゴム時報51(7)

ビクトリヤ月経帯 21:18 -
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