田中ひかる 中央公論新社
高橋瑞は1852年愛知県生まれ、
1887年女医第3号となる。
「瑞は利口だから学問をやるといい」という父の遺言をたよりに、女中扱いされ学ぶことを許さない兄夫婦と住む実家をあてもないまま出た。
旅芸人一座の世話や女中、短い結婚生活などを経て、産婆になり女医になりドイツ留学をも果たす高橋瑞の伝記。
瑞は家出した当初から医者を目指していたのではない。
幼くして死んだ姪や行く先々で出会った人たちを通して経験したことが、産婆や医者になることを決意させた。
カネもコネもない瑞が女性には閉ざされていた学問の扉を、学びたいという一心でこじ開けてゆく様は清々しく応援したくなる。
ようやく入学を認められ、いざ学校生活がはじまっても男子学生からの差別、いやがらせにあうが、瑞の態度は自分は自分、とにかく勉強第一と常にお金の工面で男子からの蔑視なんてお構い無しだ。
タイトルに「男装」とあるが、
男性社会に受け入れてもらうため女性ならではの策を用いたという感じでドラマチックにもみえるが、
瑞の場合はわざわざ装ったというよりも、その身なりの方が実用的だと認めていたからではないかと思う。
というのも、瑞は着物の背中に落書きされるという虐めにあっても同じ物を着て授業を受けていた。
すると、虐めた学生がお詫びに着物をくれ得したといい、
病院実習許可の直談判に行き、親身に話を聞いてくれた院長婦人から着物を貰ったのだが、
それは、実習で患者を診るのに着た切り雀のいつもの恰好じゃまずいからくれたのだろうと、同じ下宿の男子学生に気づかされ、風呂にも入るようにと言われるほどなのだ。
著者の田中ひかるさんはエピローグで、
瑞のほか、荻野吟子、生澤久野、本多銓子、吉岡弥生ら同時代の女性医師の資料から「人は群れずとも連帯できるということを教えてくれた」と言う。
瑞と同じ明治時代の<男装の女医>となった人たちどうしが、お互いに意識しあったり時には語り合ったりという、ほどほどの結びつきも孤軍奮闘するだけではない連帯感があって爽やかな物語だ。
産婆を志すまでの苛酷な前半生があるからなおさらだ。
田中ひかるさんには『オバサンはなぜ嫌われるか』という著書もあり、その中で
男女のダブルスタンダードが苦しいときは、
見知らぬ他人との面倒なコミュニケーションを厭わず社会性に富んでいる
「オバサンに学べ。でも『オバサン』とは呼ぶな」とあるのだが、
瑞たち女医どうしの連帯や後輩女医との繋がりにこの本を思い出した。
そういえば瑞、
学生時代やドイツ留学中の下宿など、初めのうちは疎んじられていても家事能力の高さやコミュニケーション力で次第に受け入れられ慕われるようになったのだった。
瑞は、がむしゃらで自分は自分というようにみえても、
救えるはずの命を救いたい、
そのためには医師になるしかない、その一念でどんな困難にも怯まず突き進んで行った。
そして、医師になってからは、学生への援助を惜しまず困っている人は無償で診療し、
亡くなったのちは女子学生が骨格標本を見せてもらえなかった苦労などを思い、自分の遺体を役立てるように後輩女医で東京女子医科大学創立者の吉岡弥生に託した。
この高橋瑞の物語を読んでいると、
些細な考えごとや計画でも事前にたくさんの情報を集め経験談を見聞き(しかもネットで漁る)などして、これはムリあれもダメと先行き不安で結局諦めてなにもしないことが
私にはよくあるのだか、少しは勇気を出そうと思うのだった。
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アンネナプキンの記念日です。
だからというわけではありませんが、この度海外の生理用品を
手に入れることができたので少し書き留めておきます。
これは現在ベトナムとフランスで販売されている生理用ナプキンです。
(元ユック舎編集者、現Me too編集長はくの様よりご恵投賜りました)
こちらはベトナムの生理用ナプキンDiana。
Dianaダイアナというユニ・チャームのナプキン、ソフィです。
ソフィは海外でも商品名をソフィとしていることが多いですが、
ベトナムのこれはDiana、ちなみに台湾では蘇菲です。
ソフィの海外での発売は1993年に台湾、95年タイ、97年中国、
98年インドネシア、2005年韓国、07年サウジアラビア、
10年インド、エジプト、ベトナム、13年ミャンマーと続いています。
このダイアナは2010年8月25日、ユニ・チャームがベトナムで
生理用品・紙おむつなどの大手であるDianaの95パーセントの
株式取得をしたことによります。
ベトナムではソフィではなくDianaという名称にしたのは、
大手メーカーでその名前が浸透していたと考えられるためでしょうか。
ソフィでは海外でのCSR活動としてインドでの初潮教育を行っていて、
サイトには
「生理について、身体面、衛生面の正しい知識や、
生理用品の使用方法を伝え、知っていただくことで、
女性の就学機会の向上や社会進出を応援しています。」
CSR活動農村から都市へ広がる初潮教育(インド)より引用
http://www.sofy.jp/about/csr_005.html
と書かれています。
インドの都市部では生理用品を使う習慣が浸透しつつある
とのことですが、
農村部では生理用品の存在を知らない女性も多く、
月経時の対処法は外出を控えることだといいます。
もうひとつ、こちらはフランスのナプキンNana。
このナプキンの名称がストレートにそれを指しているのかどうかは
分かりませんが、
ナナというのは辞書で調べたらフランス語で女の子(娘、若い女)という意味でした。
ナナのサイトhttp://www.nana.fr/には
テレビCMでしょうか動画があるので見たところ、
随分具体的だけどそこまで説明が要るのとか、ここまでしないと
親切な説明と受け取ってもらえないのかなど少し刺激を受けました。
私は古い雑誌など
(明治・大正・昭和の雑誌の月経帯広告や処置法に関する記事)
を好んでみているからといって、
自分が殊更に古めかしい人間だとは思いませんが、
この動画には、便座に腰かけナプキンの羽根を広げて、
下ろしたひざの位置で待っているショーツに付ける事を
伝えるシーンがあったり、
立体的に描かれた透明のボディに装着した状態を
360度可視化している映像があったりして、
そこが私にとってのプチ衝撃ポイントでした。
イラストや写真や文字とは違って動画はダイレクトに届きますね。
ナナの動画はこちらです。
http://www.nana.fr/nos-produits/securefit/
ですが、Nanaの動画にちょっと刺激を受けたとは言っても、
この安全帯という明治時代の月経帯広告を初めて目にした時の
衝撃に比べたら如何程でもありません。
安全帯『婦人世界』1912(明治45)年 第7巻第2号より
安全帯『婦人世界』1910(明治43)年 5巻第3号より
明治時代では月経帯ってなあに?と言う方にも
分かりやすく伝えることが重要だったと考えられるので、
ストレートにその形を見せたり、
装着図を示す必要があったがためのこのインパクトです。
この度頂戴したベトナムとフランスのナプキンは、
どちらも一般的なお店で販売されているとのこと。
二つのパッケージを眺めてみて思うことは、
ユニ・チャームダイアナの方は、33センチの夜用だからでしょうか、
白地にブルーで女性のシルエットが
描かれていて落ち着いた感じがします。
ですが、パッケージの端にある富士山と桜の絵をみると、
このナプキンはベトナム土産ながら
日本土産のような気がしてしまいます。
ベトナムではこういう図柄が好まれるのでしょうか。
ナナの方はオレンジにネイビーとピンクという色使いで、
普段私が行くような地元のドラッグストアやスーパーマーケットでは
見かけないタイプです。
このような配色がフランスのサニタリーグッズでは
一般的なのかどうか分かりませんが、
中身の個包装にも外側のパッケージと同じく
鮮やかなプリントが施されていました。
以上、アンネナプキンのアニバーサリーにちなんで
海外の生理用品についてでした。
◆参考
ソフィ>ソフィの想い>ソフィの歴史
http://www.sofy.jp/about/history.html
ソフィ>ソフィの想い>CSR活動
http://www.sofy.jp/about/csr.html
ユニ・チャーム ベトナム Diana JSC の 95.0%株式取得について
www.unicharm.co.jp/ir/pdfs/news/20110825_02.pdf
ベトナムニュース>ユニ・チャーム、地場紙おむつ大手を買収
http://www.viet-jo.com/news/nikkei/110825070224.html
Nana
http://www.nana.fr/
クラウン仏和辞典
◆むかしの女性はどうしてた?女性雑誌の生理用品広告集
http://nunonapu.chu.jp/naplog/
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布ナプキンのページ(156-157)を監修しました。
生理中のケアとして布ナプキンを使ってみませんか?という提案です。
昨年、オレンジページからだの本で4ページにわたって
布ナプキン特集がありましたが、それを凝縮したものが
この度のオレンジページムックに収められています。
どうぞご覧くださいませ。
15センチくらいの四角い持ちやすい本で表紙カバーが可愛いです!
◆オレンジページムック『本当にすごい冷えとり百科』
www.orangepage.net/books/1121
◆布ナプキンビギナーのための布ナプ生活ガイド
ウーマンケアネット
http://nunonapu.chu.jp
◆著書『布ナプキンはじめてBooK』なかみのご紹介
http://nunonapu.chu.jp/mybook.htm
フライヤー兼申込用紙はこちらです。どうぞご覧ください。(注・PDF)
http://www.jawe2011.jp/book-talk/data/bosyu20140219.pdf
メールでのお申し込みはこちらのページからどうぞ。
http://www.jawe2011.jp/book-talk/index.html#book9th
イベント内容は『生理用品の社会史 タブーから一大ビジネスへ』の
著者田中ひかるさんとの対話形式で、主に近代以降の日本の生理用品の歴史、
一大ビジネスと化した生理用品の進化についてお話をお伺いします。
あろうことかその対話の相手のお役目を私めが仰せつかりました。
トークの話題として、明治以降アンネナプキンが登場するまでのことや、
アンネが発端となっての一大ビジネス化など数点に絞ってのトークを予定しています。
このように書くと堅苦しい話しではと思われるかもしれませんが
そんなことはありません。
意外と知らないでもちょっと気になる生理用品の歴史など本を読んだ方はもちろん、
これから読みたいと思っている方には本を読む前の
予告編的楽しさとなる内容かと思います。
トークは約60分、その後質疑応答、フリータイムを設けてありますので
月経史、女性史をテーマにこの分野を知る上で、欠くことのできないご本を
出版されている田中ひかるさんと直接お話しすることのできる機会です。
場所や主催の名称から男性は少しお越しになりにくいかもしれませんが、
男性の方ももちろんご参加できます。どうぞお越しくださいませ。
田中ひかるさんの著書
『月経と犯罪 女性犯罪論の真意を問う』
(2006年、批評社)
『月経をアンネと呼んだ頃 生理用ナプキンはこうして生まれた』
(2006年、ユック舎)
『「オバサン」はなぜ嫌われるか』
(2011年、集英社新書)
『生理用品の社会史 タブーから一大ビジネスへ』
(2013年、ミネルヴァ書房)
主催 日本女性学習財団サイト
http://www.jawe2011.jp
今日がその記念日だ、何かネタを見つけてこの頃書いていないブログを更新しようと
自分へプレッシャーをかけてみたところ相変わらず、婦人雑誌を眺める始末・・・。
で、苦し紛れに浮んだことをひとつ。
今も昔もですけれど、雑誌にはひとつの号に何社もの同業同種の
商品の広告が掲載されています。
かつての2大勢力、ビクトリヤ月経帯とフレンドバンドも
「ユルマズ・ヨジレヌ・自由自在」とか「飛んでも跳ねても安全第一!」などの
フレーズを使って同じ雑誌上で宣伝合戦をしていました。
2点とも1939年(昭和14年)主婦之友 11月号より
このビクトリヤ月経帯VSフレンドバンドから34年後の1973年(昭和48年)、
アンネとユニ・チャームが同じ雑誌の先頭ページと終いのページで競い合っています。
この年タンパックスタンポンが輸入販売が開始されたのは偶然としても、
この号ではアンネはタンポンo.b.の広告を、それに対しアンネの登場から2年後に
生理用品の製造販売に乗り出したユニ・チャームはチャームナップノンの広告を載せています。
2点とも1973年(昭和48年)女性自身1月6日・13日合併号より
アンネナプキンについてもっと詳しく知りたい人は、
『月経をアンネと呼んだ頃 生理用ナプキンはこうして生まれた』を、
ちょっと詳しく知りたい人は『生理用品の社会史 タブーから一大ビジネスへ』を、
サラッとでOKという人は、わたくしめのサイト
http://nunonapu.chu.jp/naplog/
「月経帯からアンネナプキンまで 明治・大正・昭和〜女性雑誌の生理用品広告集」
をどうぞご覧くださいませ。
淡いブルーに白い線で使い捨てナプキンが描かれたカバーに血色の帯、
その下の表紙は使い捨てナプキンの表面のような真っ白なさらさら感触の
メッシュ状というこの本は4章から成り、
第1章「ナプキン以前の経血処置 植物から脱脂綿まで」では、
布や紙が発明される以前から1951年の脱脂綿配給制解除までの生理処置についてを、
婦人衛生雑誌や女学世界、婦人世界、主婦之友、婦人倶楽部、婦人公論の記事や広告を用いて
所々『女たちのリズム』の口述記録を挟みながら時代を追う流れになっている。
日本最古の医術書『医心方』に月帯(けがれのぬの)という生理処置用品が書かれているものの、
江戸時代までは生理処置に関する記録が少ないためか第1章の大部分は
明治に婦人衛生雑誌が発行された1888年以降のことが書かれている。
明治時代では「富国強兵を達成するためには、強健な兵士や労働者を生むための
<母体>の改善が不可欠」で、そのために月経を重要と見なし
上流階級の女性に向けて(優秀な母体が望ましいため)医師が生理処置の発信源となり、
衛生的処置法の脱脂綿と月経帯によるナプキン式を説く一方で
働く女性に対してはタンポン式を勧めていたこともあったそうだ。
明治末から大正時代の生理処置に言及したページでは、
女学世界や婦人世界の広告文のフレーズを比較している箇所があり、
大王と女王のくだりは面白かったので個人的な希望を言えば
そこはもっと突っ込んで欲しいところであった(できれば他の時代でも)。
昭和に関する内容は、初期のころはゴムを使用した月経帯を批判しゴム不使用の月経帯が登場したり、
戦争の影響で材料不足が進み節約のためゴム不使用、脱脂綿は代用品となり、
その結果やってはいけない処置法として以前から偏見の対象だったタンポンが復活する。
そして戦後の1948年にタンポンが医療用具に指定されたのは
タンポン式処置法の弊害を説く記事が目立つようになったという背景もあったとしている。
第1章の終わりに「生理用品が進化したことで、「粗相」があり得ないこととして
捉えられる傾向があるが、それは行き過ぎた<月経の透明化>である」との意見に共感した。
私が布ナプキンユーザーだからという点もあるが、進化した生理用品で「出血現象」を
見えなくするということが、「出血現象」をどうにかして手当するという自覚を減らすというか
薄くさせてしまいそうな気がするからである。
第2章「月経タブーの歴史 各地に残る痕跡」では、
月経中の女性や女性そのものを禁忌と見なす世界各地の習慣や月経小屋での経験などが書かれている。
もとより心待ちにしていたこの本ではあるが、
月経小屋を気が枯れないよう養生する場と幻想的に思っていたい私には
切なくてここは飛ばして早く先を読みたいと思う部分がこの章にあった。
それは、福井県敦賀市白木に1960年代半ばまであったという月経小屋の聞き取り調査を
1977年に行った「白木の産小屋と出産習俗 日本海辺二つの習俗調査対比から」という論文を
紹介したページで、調査当時月経小屋で食事をしたり手当をすることはなくなっていたが、
それでも生活の行動に制限があり生理中の一週間は家の外で食事をしたという。
家事や食事の支度はさせられるのに自分の食べる分を取り分けて
草の上や軒先、玄関先で食事を摂る。その姿を学校帰りの子供たちに囃し立てられたりしていたそうだ。
この章キツイな・・・と感じたときは、
扉の裏に書かれた「月経禁忌に触れずして日本の生理用品の歴史は語れない」
という著者の宣言を思い出してから読み進めるようにした。
第3章「使い捨てナプキンの登場 アンネ社の果たした役割」では、
戦後の生理用品とアンネナプキンの誕生、ユニ・チャームの参入について
4つの章の中で一番の分量で書かれていて、アンネナプキンの広告資料写真が40点以上もあるので、
新しい時代の生理用品広告の言葉選びに配慮したくだりや
大塚清六のイラストの広告を本文と照らしながら見ることもできる。
『月経をアンネと呼んだ頃 生理ナプキンはこうして生まれた』では書かれていない、
アンネ製品のための輸送会社を設立したことや、初潮者向けのアンネジュニアセットを
学校周辺の文具店などに置いたが文具店に生理用品は置けないと1年後に廃止になったことも
元アンネ社員からの聞き取りとして加えられている。
アンネナプキンの成功に続いてユニ・チャームが参入するが、
そのユニ・チャーム創業者高原慶一朗がこの章に登場してくるあたりになると、
頭の中で中島みゆきの地上の星がBGMとなってしばらく響き生理用品の歴史書であることを
忘れそうになった。生理用品の機能性と市場の競争をみているようで、
自身の経験から女性が生理を快適に過ごせるナプキンを作り世に送り出したアンネ社長と
アンネ社の終焉、女に負けてたまるかのユニ・チャーム創業者が発展させた
日本の使い捨てナプキンという対比、この第3章は生理用品に関心のない人が読んでも
惹きこまれる箇所ではないかと思う。
第4章「今日の生理用品 選択肢の広がりと新たな月経観」では、
1978年の高吸収性ポリマーを用いた薄型の使い捨てナプキンの登場から
2012年に発売された液体から生まれた新素材を使用した使い捨てナプキンに加え、
使い捨てない布ナプキンなどについて書かれている。
章の冒頭部分で現在の使い捨てナプキンへの不満は吸収性や厚みではなく、
かぶれやかゆみが多くその原因として漏れを防ぐためにサイズを大きくし隙間なく体に密着する
ようにしたり薄型化を優先した結果と考えられるとあるが、
これは私の経験も当てはまるところで、昨年アンネナプキンの実物(昭和50年代のではあるが)を
実際に手にしてみてこのくらいで止まっていたら使い捨てナプキンを使用した際の
かぶれやかゆみに悩まなかったかもしれないと思えたのであった。
その悩みを解消するためだけではないが布ナプキンを選択をしている身としては、
1990年代から注目され始めたとする布ナプキンについての節には草の根的活動をしている人々の
取り上げがなかった点で少しだけ物足りなさがあるものの、
これは書名にある一大ビジネスに繋がらないのだから仕方がないと思うこととする。
期待を大きく上回った点は、生理用品の製造販売という点で同業である者が
使い捨てナプキンを否定するまでは行かないとしても貶している点を
この本がクローズアップしてくれたことだ。
おわりにのページで書かれていることだが「女性を物理的、心理的に開放してきた「実績」」の上に
布ナプキンがあるのだし、生理を快適に過ごせるようにするために明治の頃から生理処置に必要な
月経帯や当てるものや詰めるものが考え工夫されて来、
昭和の一時期に発展が止まったことはあったが、進化、発展させたのは使い捨てナプキンなのだから。
ただしこの二項対立、これって明治から大正、昭和初期にかけてのタンポン批判や
ゴム使用の月経帯批判、戦後のタンポン批判復活をしながら発展、進化してきた
生理用品の歴史そのものじゃないかという気がして、今後はどうなってゆくのか、
現在以上の発展、進化はもうないのかと思えてここでまた地上の星が流れるのであった。
以上、私的感情を押さえきれず書いたので見苦しい点ばかりだと思いますが、
最後までお読み下さりどうもありがとうございます。
東照宮の隣は文化村でコンクリート建築や浄水装置、電熱器の設備を備えた
最新式の住宅が展示されている。
その他の展示館は、文化村の下から時計回りに制作工業館、日本羊毛工業館、
染織館、平和館、建築館、蚕糸館、衛生館、美術館、食糧水産館、
産業館、化学工業館などが並んでいる。
横長のため二つに分けたので鳥瞰図のもう半分が下の画像。
観月橋と弁財天のある池の周りを平和塔、北海道館、樺太館、満蒙館、
朝鮮館、台湾館、外国館、電気館、機械館、交通航空館などが囲んでいる。
裏面にはそれぞれの館の写真も掲載されていて、
この口絵部分を切り離せば博覧会に行くときの地図として役立ちそうだ。
特集ページには一日で効率良く見学するためのコース案内や、子供連れのための
見学案内、百貨店が出展している染織館での流行チェックのような記事など
記者4名によるそれぞれの記事と田中比左良の漫画博覧会見物記がある。
上の記事は効率的に見学するためにどう回るとよいかに徹して書かれていて、
廻る順番も隣の館に進まず一つ飛ばして先の館を見てから戻ってくる道順で
飛ばした館を見るとよい、この館の脇のベンチは一休みにちょうどいいなど、
まるでテーマパークの達人によるガイドブックのよう。
一日で効率よく博覧会を見物しようというための記事だから
当然ランチについても書かれている。
会場では値段と量に見合う飲食店が少なく、2円もする定食なのに3人前くらい
食べないとお腹が満たされないし、かといって安いお店のものでは酷い目にあうから
荷物が嫌じゃない人はお弁当持参、場内なら35銭の伊勢の焼き蛤と
蛤ご飯くらいが質・量的におススメとのことだ。
かなりハイペースで見学することになるので途中疲れを回復させるために、
池の中に森永の出店があるのでここで、音楽堂から漏れる音色を聴きながら
ココアでもどうぞということまで書いてある。
ざっと一巡りするためのガイドブック以外の記事もある。
この記事を書いた松田鶴子さんは、主婦之友創刊にも加わった元婦女界の記者。
(主婦之友創始者・石川武美の婦女界時代の同僚)
博覧会への期待を持っていたものの実際に見学してみたら失望、
読者にお勧めしたいものはないとしながらもそれぞれの館を詳しく伝えている。
その中で科学工業館では、ゴム引き完全防水布の出品があり(東京イージー工業株式会社)
それに対し松田さんはこれを婦人のコートなどに応用したら便利だろうと書いている。
大正11年(1922)というと、ゴムを用いたビクトリヤ月経帯が
既に発売されていたが(大正2年発売)、
布自体ををゴムで覆うという防水加工というのは新しいものだったのだろう。
このゴム引き完全防水布を出品した会社は敷物での特許があるとのこと。
ということで、最後の画像はビクトリヤ月経帯の広告。
残念ながらこの号にビクトリヤ月経帯の広告はないので、一番近い年代で
大正13年(1924)主婦之友7月号から