生理用品と古書の雑記

むかしの女性はどうしてた?古雑誌でたどる月経帯からアンネナプキンまで
本日はビクトリヤ月経帯・大和真太郎氏の誕生日です
4月15日はビクトリヤ月経帯を製造した大和真太郎氏の誕生日です。
ということで、今後も調べを継続することを自分に課す意味も含めて
記念の日としての書きつけをしておきます。


大和真太郎氏は今から101年前の1914(大正3)年に
初の国産材料による月経帯を製造販売した人物です。

月経帯は明治時代半ば頃から医師が中心となって月経処置の重要性を教えられた
一部の女性たちのために輸入品が販売されていましたが大変高価なものでした。

大和真太郎氏は1890(明治23)年、福井県三国の生まれで、
名古屋商業学校を卒業し横浜の商館勤務を経て20歳の時、
1910(明治43)年に京橋で輸入雑貨商を営んでいました。

あるとき、輸入のサンプル品の中に
経血を吸収させるための脱脂綿を乗せる長方形のゴムを、
腰に巻いたベルトの前後から吊るしたアメリカ製の月経帯をみて、
これは構造は複雑ではない上に、材料のゴムから作ることが出来れば
 価格も抑えられる、しかも月経帯の需要は大きいということに気が付きました。

画像:1913(大正2)年 婦人之友6月号より
(アメリカからの輸入ビクトリア)

このように書くと月経帯を事業にしようと考えたのかと思いがちで
私も以前はそう思っていましたが、実は関心は月経帯そのものではありませんでした。

この頃の真太郎氏は輸入雑貨商の経営に失敗し次の事業を始めるにあたって、
月経帯が商売になる行けると踏んで着手したというより、
ゴム製品を重視し将来性をみていたようです。

高値になってしまう輸入品に依らず自らの手で製品をつくるため、
英語のゴム製造法の本を入手し独学で製造技術を獲得し薄ゴムの国産化に成功しました。
その製法は、ガソリンで融解したゴムを板上の硝化綿に塗り重ねて行き、
ちょうど良い薄さ(厚みともいえる)になったところで剥すという方法で、
これを機械化することも可能にしました。

こうして1914(大正3)年に売り出されたのが大和ゴム製作所のビクトリヤ月経帯です。

画像:1916(大正5)年 婦人画報3月号より
(右側の妖精と蝶の図はビクトリヤの商標登録)

さらにビクトリヤ月経帯に用いられた薄ゴムの技術は、他にも数多くの製品を生み出し
おしめカバーや防水布に活かされ、レインコートやゴム手袋、海水帽といった
日用雑貨品にも及びました。
一時ルーデサック(コンドーム)の製造もしていたようですが、
これは機械化を断念したことから後年の真太郎氏の回想によると
失敗したもののひとつということです。

真太郎氏の独学と苦心の末に世に送り出されたビクトリヤ月経帯ですが、
新聞や雑誌に広告は出すものの当初はなかなか売行きが伸びず、
宣伝には苦労したとも語っています。

サクラになった家族が雑貨店に出向いては
「ビクトリヤ月経帯ありますか?」「ビクトリヤはいいらしいですね」と
その店が仕入れるまで通ったり、女学校に狙いを定めて寄宿舎の監督にサンプルを送り、
その結果100個単位での注文を取り付けるということもしていました。

地道な宣伝と新聞雑誌への広告掲載を続ける一方で、
製品の研究にも余念がありませんでした。

月経帯の工夫と改善には社員の妻や関係者の女性を「拝み倒して」協力を求め、
その声をサイズやデザインに取り入れました。

身近な女性たちの協力を得て製品づくりをしていましたが、
製作陣の着用中の様子を見たいという申し出だけは強く拒否されたため、
吉原の女性に頼んでみたもののやはり始めは断られ、
なんとか説き伏せて協力を得られたそうです。

ちなみに、大和真太郎氏と同郷で大和ゴム製作所の宣伝担当から
後に同社取締役になった岡崎明郎氏によると、
「月経帯だのサックだのつくっていても吉原に通じている人物はゴム界には少ない」
と語っています。そして真太郎氏については「高潔な人」と言っています。


ビクトリヤ月経帯を世に送り出した大和真太郎氏について、
まだまだお伝えしたいことはたくさんあるのですが、
彼の誕生日である今日、書き留めるのはこの辺にしておきます。


※追記
参考資料
『生理用品の社会史 タブーから一大ビジネスへ』田中ひかる(ミネルヴァ書房 2013)
「ゴム時報」29(7)
「ゴム時報」32(5)
「ゴム時報」33(12)
「ゴム時報」36(7)
その他、関係者より拝借資料等

 
ビクトリヤ月経帯 00:55 -
ビクトリヤ月経帯と大和真太郎氏に関するメモ
明治時代の終わりから月経帯の製造販売に携わった大和真太郎氏と、
彼のつくったビクトリヤ月経帯に関心を持ち、少しずつですが調べています。
今後の自分への宿題の意味も込めてここにメモしておきます。


ビクトリヤ月経帯の大和ゴム製作所創業者、大和真太郎氏は、
横浜の商館勤務の経験を活かし1910(明治43)年に独立し
京橋で開業した輸入雑貨商で失敗するも、
取り扱い品のひとつだったアメリカ製月経帯に商機を見出だした。

自社製の月経帯を発売するにあたり、
当時国内のゴム製造業は発展途上にあったため
月経帯に用いる薄ゴムをアメリカから輸入、加工し販売した。

輸入材料による月経帯の製造販売を続けながら、
大和氏は材料の薄ゴムの製造に自ら挑み苦心の末に成功させ、
これにより輸入に依らず自社工場での一貫製造が実現した。
これが1914(大正3)年に商標登録されたビクトリヤ月経帯だ。

このビクトリヤ月経帯は、価格を輸入品の1円50銭から
半額以下の70銭に押さえ、新聞雑誌に広告を出し、
女学校へ売り込みユーザーを獲得していった。

発売当初、大和氏はどのようにして女学校に販路を
拓いたかというと、寄宿舎の寮母宛てにサンプルを送り
実際に使用してもらうという方法だ。

当時月経帯といえばビクトリヤというほどの売れ行きとなり、
特に女学校からは100個単位で注文を受けたという。

大和真太郎氏と同郷で大和ゴム製作所の宣伝担当、
後に同社取締役になった岡崎明郎氏によると、
ビクトリヤ月経帯は発売後も重要部分を二重にするなどの
改良を重ね、広告には当時人気だった高畠華宵風の図案で
上品に明るく美的な感じを演出することに力を注いだという。

大正時代はほぼ独占状態だったものの、
昭和初め頃になると徐々に後続も増え、なかでも
ゴム業界の会合で熱心に製造法を訊ねてきた
ゴムタイヤ製造メーカーがあった。
それがビクトリヤ最大のライバルとなったフレンドバンドの
第一ゴム創業者、竹内仲治氏だった。

※参考

『生理用品の社会史 タブーから一大ビジネスへ』 田中ひかる(ミネルヴァ書房 2013)
ゴム時報29(7)
ゴム時報30(1)
ゴム時報32(5)
ゴム時報35(10)
ゴム時報51(7)

ビクトリヤ月経帯 21:18 -
台湾の生理用品
先日台湾の方と知り合う機会があり(布ナプキンのことでメールを頂戴した)、
『布ナプキンはじめてBook  生理をここちよく』(泉書房)をご覧になりたい
と仰るので差し上げたところ、お礼をしたいとお申し出下さりそれならば!
とお願いしたのがこちら、台湾の生理用品の数々です。
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一般的なお店でよく売られている台湾で入手しやすい
ごく普通の使い捨て生理用品を、という希望を添えて
お願いしたところこのような生理用品が届きました。

これらはごく普通のドラッグストアにて入手したとのこと。
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こちらは、康乃聲Carnationという使い捨てナプキンで、
抗菌を謳ったものです。パッケージの裏には、
”健康御守・安心御守・美人御守”とあります。
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続いてこちらは漢方入りの使い捨てナプキンです。
製造はハングルで書かれている方が韓国、もう一方は中国です。
パッケージを開けて香りを嗅いでみた限りでは、
さほど漢方薬のようなにおいはしないのですが、
水色のパッケージの方はハーブの芳香剤のような香りが少しします。
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続いては、箱がキラキラしているキラキラタンポンと、
コーテックスのライナーです。
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台湾でも日本と同じくタンポンユーザーは少ないそうです。
余談ですが、
コーテックスはアメリカのキンバリークラーク社の製品で、
あのアンネナプキンのデビュー時のキャッチコピー
「40年間お待たせしました!」の40年前を指す使い捨てナプキンは、
キンバリークラーク社のコーテックスのことです。

製品の機能には関係ないことですが、
ちょっと便利かもしれないと思ったのがパッケージのシール止めです。
漢方入りナプキンと康乃聲はこのようなシールの蓋になっています。
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ただし、中身が減るとシールが留めにくいのでは?と思います・・・。

この度、これら数々の台湾の生理用品をご恵投下さったのは、
中学校の先生と有機栽培とその加工品製造販売をしている方たちで、
彼女たちは布ナプキンのことを伝える会を催しているとのことです。
私は日頃他国のこうした日用品を手にすることがないので、
一冊の本を巡って得ることの出来たよい機会となりました。

 
世界の生理用品 15:36 -
「生理用品と月経処置の百年」講演のご報告
 昨日、立川市女性総合センターにて
子宮筋腫・内膜症体験者の会たんぽぽ主催の講演
「生理用品と月経処置の百年」を田中ひかるさんと行いました。
「生理用品と月経処置の百年」講演 田中ひかる・山浦麻子
田中さんの『生理用品の社会史 タブーから一大ビジネスへ』をもとに、
明治期以降の女性雑誌の生理用品・月経処置に関する記事や広告と
照らし合わせて、五つの話題を取り上げスライド使ってお話をしました。
「生理用品と月経処置の百年」田中ひかる・山浦麻子講演スライド
第一部の90分の講演後、休憩を挟んでの第二部のアンケート報告や
質疑応答・感想では、月経の捉え方に対する考え方の違いや、
現在主流の月経や排泄処置用品に使われているポリマーへの疑問、
女性ならではの体調不安がある場合の職場での休暇に関する問題など、
子宮筋腫・内膜症体験者の会たんぽぽの皆様だからこそであろう
月経に対する深い関心と意識の高さをお伺いするに至り、
話し手である私の方が得るところが多かった講演でありました。
 
布ナプキンへの関心を休憩時間や終演後に、
直接伝えに来て下さった方もおいでになりました。
 
過多月経を克服されたことから布ナプキンを使えるようになった
とのことをお伺いし、同じ悩みを共有していない私が話し手として
何か残せたのだろうか?という自責の念のような疑問を一瞬感じたことを
今後の糧にしなくてはいけないと思いました。
 
また、終了後に食事会を開いて下さりその席でも月経に関する話題は
尽きることがありませんでした。
年齢や職業、あらゆる経験、環境が違っても月経・生理用品という
キーワードは何事も多様化の現在では共有できる
数少ないもののひとつなのだと改めて実感した一日でした。

 
徒然日記 16:27 -
アンネナプキンから53年、その半世紀前のビクトリヤ月経帯との共通点に関するメモ
今日、11月11日はアンネナプキンが発売された日です。
というわけで、アンネナプキンとその約半世紀前に販売されていた、
ビクトリヤ月経帯との共通点について少し書き付けておきます。


アンネナプキンは、53年前の1961年(昭和36)11月11日に
坂井泰子(よしこ)社長のアンネ株式会社から発売されました。

それまで、明治時代の半ば頃から医師によって近代的で衛生的な生理処置方法が
提唱されていたにもかかわらず、 便利な生理用品は
どこでも誰でも安価に入手可能というものではありませんでした。

アンネナプキンはその後の生理用品に対して、その質の良さ種類の豊富さ、
入手のしやすさなど大きな貢献をしました。

アンネナプキンや日本の生理用品の歴史については、田中ひかるさんの
『生理用品の社会史 タブーから一大ビジネスへ』(ミネルヴァ書房 2013)
に詳細で正確に記されていますので是非、御一読されることをお薦めします。
DVC00006.jpg

便利で快適なアンネナプキンは、美しいイラストを用いた広告や、
巧みなキャッチコピーで人気を博しました。
そのためにアンネを囮に他社の生理用品を売りつける不当な販売行為に利用されたり、
得意先向けのアンネ社の工場見学に紛れ込み類似品を製造されるなど、
アンネナプキン発売から5年で後続会社は300社以上も現れたそうです。

アンネナプキンの登場は市場を賑わせ、現在の便利な使い捨て生理用品の
礎を築いたわけですが、

その約半世紀前の1913年(大正2年)に、
大和真太郎社長の大和護謨製作所からビクトリヤという月経帯が発売され、
このビクトリヤが人気となったことから、
追随する月経帯が多数発売されるようになりました。

昭和6年(1931)4月1日発行 主婦之友より

ビクトリヤ月経帯の広告には当時人気だった高畠華宵の絵を意識した 綺麗な挿し絵を用い、
製品も美しくパッケージされていました。


そして、ビクトリヤもまた模造品が出回ったり、店頭で「ビクトリヤを下さい」
という客に対して、他社の月経帯を売りつけるなどの被害に遭っていたようです。

アンネナプキンの誕生は、生理用品発展の大きな転換点ではありますが、
それは初めて訪れたものではなく、ビクトリヤ月経帯をはじめとする
大正から昭和初期に小さな賑わいをみせた生理用品競争の復活という見方もあるように思います。
以上が今日のアンネ誕生記念日にちなみビクトリヤとの共通点などに関するメモです。

※参考
『生理用品の社会史 タブーから一大ビジネスへ』田中ひかる ミネルヴァ書房、2013
「ゴム時報」29(7)国立国会図書館デジタルコレクション
「ゴム時報」28(11)国立国会図書館デジタルコレクション
 
ビクトリヤ月経帯 23:32 -
PHPくらしラク〜る12月号「布ナプキン、はじめてみませんか?」
11月10日発売 PHPくらしラク〜る12月号にて、
「布ナプキン、はじめてみませんか?」(P46〜P49)を監修させて頂きました。
1415344230703.jpg
内容は、これから布ナプキンを試してみたいという方向けの入門編です。
どうぞよろしかったらご覧ください。

PHPくらしラク〜る12月号の目次はこちらです。
http://www.php.co.jp/magazine/rakuru/
 
徒然日記 16:26 -
11月22日(土)生理用品トークイベントのお知らせ
11月22日(土曜日)14時より立川市女性総合センター・アイムにて、
生理用品と月経処置に関する講演を行います。

『生理用品の社会史 タブーから一大ビジネスへ』の著者、
田中ひかるさんと「生理用品と月経処置の百年」という 演題でお話させて頂きます。
当日は5つの話題に絞って進める予定です。 
只今、より分かりやすくお伝えするためにスライドづくりに取り組んでいます。


この講演の主催は、1994年に設立された
子宮筋腫・内膜症体験者の会たんぽぽという、
関西や東北にもネットワークを持つ今年20周年の自助グループです。

毎年行われているたんぽぽセミナーという講演は通常では、
会員の方の役に立つことや勉強を目的とした内容が多いのですが、
今年は「生理用品と月経処置の百年」に決まりました。

当日は二部構成(途中休憩15分)で、第一部90分が講演、
第二部45分は参加者の方たちとフリーに意見交換・質疑応答という流れです。

事前の参加申し込みは不要です。
参加費は有料(たんぽぽ会員500円、非会員1000円)
男女問わずどなたでもご参加できます。

月経、生理用品に関わる女性史に取り組まれ、この分野で
欠くことのできない書籍を刊行されている田中ひかるさんと、
直接お話をすることのできる機会です。どうぞお越しくださいませ。

◆詳細はこちらのページのチラシをご覧ください。

 
徒然日記 21:02 -
ぶっく・とーく『生理用品の社会史 タブーから一大ビジネスへ』ご報告

昨日、日本女性学習財団主催の話題書の著者を招いてのトークイベント
「第9回ぶっく・とーく『生理用品の社会史 タブーから一大ビジネスへ』」を
日本女子会館にて行いました。
2月25日追記:当日の様子が日本女性学習財団サイトでご覧になれます。
DVC00025.jpg
身近すぎてあまり語られることのない、さらに、
月経不浄視観のあった頃はそのことに触れてはいけない、口に出すことは憚られた
生理処置や生理用品の歴史について著者の田中ひかるさんにお話をお伺いしました。

60分のトークでは、生理処置法や生理用品の歴史と進化、
月経不浄視と生理用品のマイナスイメージの変化、そして
一大ビジネス化と今後の生理用品について、本書には書かれていない内容や
海外の生理処置、生理用品事情についてなどもお話くださって、
その後の質疑応答ではご参加くださった方々から
実に様々な視点のご質問やご意見、考え方が飛び交いました(もう世界規模!!)。

さらに、戦時下の脱脂綿不足による生理処置について実体験をお聞かせくださったり、
アンネナプキン登場の頃のことを感動をもってお話くださったり、
閉経により一旦は生理用品ユーザーではなくなるものの、その後も生理用品の
延長にあるモノとして排泄処置用品を視野に入れることなど、
ご参加くださった方々からたくさんのことを教えて頂きました。
拙いナビゲートにもかかわらず最後までお付き合いくださったご参加の皆様、
このような機会を設けてくださった日本女性学習財団の方々、
昨日はどうもありがとうございました。

(日本女性学習財団は、本書とトークでも度々登場した吉岡弥生先生と
大妻コタカ先生のゆかりあるところです。イベント前に理事長室前に掲げられた
吉岡先生の大きな肖像画を拝見し緊張が高まりました・汗)


イベントの後、たった今得たことを整理すべく、田中ひかるさんと食事に行ったのですが、
そこでやっぱりこの方はさすがだ、自分に引き比べて考えるのは無謀というか
恐れ多いですがほんの少しでも見習おうと思うことがありました。
どのようなことかと言うと、

「私たち(田中さんと私はほぼ同世代)は今日歴史について話をしたけれど、
当時のモノを直に見ているわけでも体験をしているわけでもない。
今日は当時のことを知っている方の実体験を伺うことができたのは有り難いこと。
”実”を知らない者が当時のことを伝えるときそれを忘れないように。」

というような内容のことを教えてくださる田中ひかるさんの本をこれからも
たくさん読もうと強く思った一日でした。

以上、簡単ではありますが昨日のご報告でした。


 

徒然日記 12:53 -
2月19日(水)生理用品のトークイベントのお知らせ

2月19日(水)18時30分より芝公園にある日本女子会館にて、
「ぶっく・とーく」というトークイベントを行います。

第9回ぶっく・とーく(主催 日本女性学習財団)
『生理用品の社会史 タブーから一大ビジネスへ』
DVC00006.jpg

フライヤー兼申込用紙はこちらです。どうぞご覧ください。(注・PDF)
http://www.jawe2011.jp/book-talk/data/bosyu20140219.pdf

メールでのお申し込みはこちらのページからどうぞ。
http://www.jawe2011.jp/book-talk/index.html#book9th


イベント内容は『生理用品の社会史 タブーから一大ビジネスへ』の
著者田中ひかるさんとの対話形式で、主に近代以降の日本の生理用品の歴史、
一大ビジネスと化した生理用品の進化についてお話をお伺いします。

あろうことかその対話の相手のお役目を私めが仰せつかりました。

トークの話題として、明治以降アンネナプキンが登場するまでのことや、
アンネが発端となっての一大ビジネス化など数点に絞ってのトークを予定しています。

このように書くと堅苦しい話しではと思われるかもしれませんが
そんなことはありません。
意外と知らないでもちょっと気になる生理用品の歴史など本を読んだ方はもちろん、
これから読みたいと思っている方には本を読む前の
予告編的楽しさとなる内容かと思います。

トークは約60分、その後質疑応答、フリータイムを設けてありますので
月経史、女性史をテーマにこの分野を知る上で、欠くことのできないご本を
出版されている田中ひかるさんと直接お話しすることのできる機会です。

場所や主催の名称から男性は少しお越しになりにくいかもしれませんが、
男性の方ももちろんご参加できます。どうぞお越しくださいませ。


田中ひかるさんの著書

『月経と犯罪 女性犯罪論の真意を問う』
(2006年、批評社)

『月経をアンネと呼んだ頃 生理用ナプキンはこうして生まれた』
(2006年、ユック舎)

『「オバサン」はなぜ嫌われるか』
(2011年、集英社新書)

『生理用品の社会史 タブーから一大ビジネスへ』
(2013年、ミネルヴァ書房)



主催 日本女性学習財団サイト
http://www.jawe2011.jp


徒然日記 16:11 -
アンネナプキンの登場から52年経ちました。

1961年(昭和36年)の今日、11月11日、アンネナプキンが発売されました。


今日がその記念日だ、何かネタを見つけてこの頃書いていないブログを更新しようと
自分へプレッシャーをかけてみたところ相変わらず、婦人雑誌を眺める始末・・・。
で、苦し紛れに浮んだことをひとつ。


今も昔もですけれど、雑誌にはひとつの号に何社もの同業同種の
商品の広告が掲載されています。


かつての2大勢力、ビクトリヤ月経帯とフレンドバンドも
「ユルマズ・ヨジレヌ・自由自在」とか「飛んでも跳ねても安全第一!」などの
フレーズを使って同じ雑誌上で宣伝合戦をしていました。





2点とも1939年(昭和14年)主婦之友 11月号より


このビクトリヤ月経帯VSフレンドバンドから34年後の1973年(昭和48年)、
アンネとユニ・チャームが同じ雑誌の先頭ページと終いのページで競い合っています。


この年タンパックスタンポンが輸入販売が開始されたのは偶然としても、
この号ではアンネはタンポンo.b.の広告を、それに対しアンネの登場から2年後に
生理用品の製造販売に乗り出したユニ・チャームはチャームナップノンの広告を載せています。





2点とも1973年(昭和48年)女性自身1月6日・13日合併号より

アンネナプキンについてもっと詳しく知りたい人は、
『月経をアンネと呼んだ頃 生理用ナプキンはこうして生まれた』を、
ちょっと詳しく知りたい人は『生理用品の社会史 タブーから一大ビジネスへ』を、

サラッとでOKという人は、わたくしめのサイト
http://nunonapu.chu.jp/naplog/
「月経帯からアンネナプキンまで 明治・大正・昭和〜女性雑誌の生理用品広告集」
をどうぞご覧くださいませ。

月経帯時代の生理用品と広告 22:02 -
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